2011年2月に投稿された記事の一覧

HOKURIKU

ファイル 54-1.jpgファイル 54-2.jpgファイル 54-3.jpgファイル 54-4.jpg

お久しぶりです。今年度、無事フル単を達成したということで北陸に旅行してきました。

目的:18きっぷ常備券を買う・転写マルス券を買う・乗りつぶし

19日の早朝、自宅を出発し東京駅へ。のぞみに乗って名古屋へ行くきます。
上越新幹線・はくたかルートの方が速いのは明らかですが、まぁ 飽 き た ということで、今回は名古屋回りで行くことにしたわけです。また、名古屋エリア⇔北陸エリアの往復フリーきっぷである”北陸観光フリーきっぷ”を使えば効率よく乗りつぶしが出来ますよ。

名古屋に到着して、窓口で件のフリーきっぷを購入し、しらさぎで福井へ。雷鳥号が来月のダイヤ改正で消滅してしまうため、さよならボードが置いてありました。えちぜん鉄道・福井鉄道の両方に乗れるフリーきっぷを購入し、福井⇒勝山⇒福井口⇒三国港⇒田原町⇒福井駅前⇒越前武生と乗りつぶし。すでに日が落ちてしまいました。
武生からは少し時間をつぶして、雷鳥に乗車します。国鉄型のモーター音に居眠りしつつ、金沢に到着。多くのファンに紛れて写真を撮った後、ピンバッジをしっかり戴いて東横インにチェックインしました。

20日は今春の18きっぷの発売日! のと鉄道に乗るついでに、常備券と言われる”赤い”18きっぷを買おうということで、七尾線高松駅にて下車し購入。まだ8時過ぎなのですが、すでに先客がいたようです^^;
次の列車で七尾へ行き、のと鉄道へ乗り換えて穴水へ。2本後の列車までひたすら歩いてウロウロした後、金沢へ戻ります。しばしホテルで休憩した後、越美北線へ乗りつぶしに。越美北線はこないだの豪雪で10日まで区間運休しており、ヒヤヒヤしていましたが無事に運転再開しています。1時間半かけて九頭竜湖へ着いたら、その列車で折り返して、また1時間半。福井に戻って、サンダーバードで金沢へ帰りました。

21日。昨日済ませられなかった私用のために再びのと鉄道に乗り(昨日は無駄足だったと…)、金沢へ戻った後は富山へ。富山駅の変貌ぶりにショックを受けて、東横インのバスタブの狭さにショックを受けた後は地鉄環状線に乗ります。
この区間、富山市の事業計画と一体となって工事が行われた区間であり、都市計画の観点から見ても力の入れ方が半端ではなく、興味をそそるものでもあります。車両も将来の富山ライトレールとの直通運転を目論んで同型車が投入されていますが、白・銀・黒(一番見たかった黒は運用に入っておらず…)という、ライトレールの白ベースの7色とは大きく異なるモノトーンで印象もガラッと変わります。
そして最大の目的である、キハ58のお別れへ。昨夏の富山合宿のラストにも乗ったのですが、その時と同じ通称:高岡色の2両がきました。ワンマン化され、車内は原型を留めているといい難いですが、それでも雰囲気は十分です。編成を組むキハ28はなんと、網棚が本当に網の紐で出来ています!(ステンレスの網目ではありません) 同業者さん達もたくさんいました(笑 越中八尾の往復でこの日は終わり。

いよいよ最終日の22日。ちょっと早起き…といってもこの旅行中はほぼ同時刻の起床ですが、またキハ58に乗ります。日が出てる時の乗車は初めてだったのですが、沿線各所に撮り鉄さんがいっぱいいましたね。越中八尾駅で帰りのひだ号の指定券と、来月の合宿で使う乗車券を購入し、折り返しの列車を速星駅で下車。ここでは、合宿の後の乗りつぶし日帰り旅行で使う乗車券を購入。後続の列車で富山駅へ。
ホテルへ戻って、ぽつんと残った朝食を食べてチェックアウト。気まぐれに黒部まで往復したのち、名古屋行のひだ号へ乗車!
山間の高山本線を名古屋まで4時間かけて走りますが…正直疲れたぁ…。のぞみへ乗り換えて東京駅には予定通り到着。

本当にお疲れ様でした。
後で調べたのですがこのフリーきっぷ、単純に名古屋⇒北陸本線・富山・高山線⇒名古屋と往復するだけですでに元が取れているようです。皆さんもフリーきっぷを使ってお得に旅行してみませんか?

さらばキハ58

ファイル 53-2.jpgファイル 53-3.jpgファイル 53-4.jpgファイル 53-5.jpg

2月も終盤に差し掛かろうとしています。皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて、来月12日にはJRグループでダイヤ改正が行われます。九州新幹線全線開業などの華やかな話題の陰で静かに定期運用を終える車両があります。それがキハ58系です。

キハ58系は、機関車牽引急行列車のスピードアップと居住性の改善を目的として、1961年から1969年にかけて製造されました。最終的な製造両数は1,823両で一時は国鉄在籍気動車の3割を占めたこともありました。そして、キハ58系は無煙化を推進し、全国に気動車急行列車網を築きあげました。

しかし、1970年代以降、幹線電化の著しい進展に伴い、急行列車の電車化、特急格上げが進められ、気動車急行列車はその運用域を狭められていきます。そして、1980年代になると、多くのキハ58系はローカル線の普通列車用に転用されていきます。1987年の民営化では全体の約3分の2である1,198両が承継されました。

JR化後は各地で実情に合わせたさまざまな改造が行われた他、一部の車両はジョイフルトレインに改造されたりもしました。

こうして、全国を駆け巡ったキハ58系でしたが、老朽化や新車投入などにより、次々と引退・廃車されていきました。特に、2005年に問題となったアスベストが当形式にも使われていたこともあり、さらに廃車のスピードが増していきました。その結果、2010年4月には総数が18両にまで減ってしまいました。その後も、8月のJR九州の元トロQ車引退や、11月の岡山地区でのさよなら運転、12月のJR東日本の「こがね」引退や、「あそ1962」引退と続き、来月のダイヤ改正では最後の定期運用であった富山地区での運用からも撤退することとなってしまいました。

車齢的に考えても致し方ない面もありますが、寂しいものがあります。富山地区のキハ58系には、ぜひ、最後まで走り切って欲しいと思います。そして、改正後唯一の現役車となってしまう盛岡の「Kenji」には、永い活躍を祈っております。

長々と失礼しました。それでは、また。